Aretha Franklin / アレサ・フランクリン

Aretha Franklin / アレサ・フランクリン
Biography

アレサ・フランクリン(Aretha Franklin、1942年3月25日 – )は、アメリカ合衆国の女性ソウル歌手。
ソウル・ミュージック歌手の中でも、サム・クックと共に一際ゴスペル・フィーリングの強い歌唱を持ち味としており、“クイーン・オブ・ソウル”あるいは“レディ・ソウル”の異名を持つ。血液型 は B型。
1960年代後半の作品群が特に有名で、オーティス・レディングと共にサザン・ソウルの隆盛に寄与した。1987年、女性アーティスト初のロックの殿堂入りを果たした。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第1位に選ばれている。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第9位に選ばれている。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位。

 ・ Aretha Franklin / amazon

Aretha Franklin / アレサ・フランクリンの経歴

メンフィスの生まれ、デトロイト育ち。父C・L・フランクリンは説教者として有名な教会の牧師であり、母バーバラ・シガーズ・フランクリンは優れたゴスペル歌手であった。両親は、アレサが幼い頃から別居していたが、アレサは父のもとで育てられ、父の教会でゴスペルを歌っていた。
1961年にはコロムビア・レコードから19才の時にデビューするが、コロムビア・レコードはアレサ・フランクリンをポピュラー・シンガーとして売り出し、ゴスペル・フィーリングを前面に出さなかった。このためか、コロンビア時代のアレサのレコードは世間に大きなインパクトを与えるに至らなかった。

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1967年に、アトランティック・レコードに移籍。同社のプロデューサーであるジェリー・ウェクスラーは、アレサ・フランクリンのゴスペル・フィーリングを前面に押し出す方針をとった。レコーディングを同社の本拠地であるニューヨークではなく、アラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオで行った。同社は、それまで南部色の強い歌手の作品をメンフィスのスタックス・スタジオでレコーディングしていたが、この頃スタックスとの間に対立が起きた為、その代替地としてフェイムが選ばれたものである。しかし、レコーディング開始後にアレサの夫テッド・ホワイトとフェイムのオーナーの間に論争が起きたのに伴い、ウェクスラーはフェイムでリズム・セクションを務めていたミュージシャンをニューヨークへ連れて行き、レコーディングを続行した。
この方針は成功を収め、アレサはアトランティックからの第1弾シングル「I Never Loved A Man (The Way I Love You): 貴方だけを愛して」とアルバム”I Never Loved A Man The Way I Love You“( 貴方だけを愛して) をヒットさせた。
そして、オーティス・レディングのカヴァー「Respect」で全米1位を獲得して、一躍スターの座に躍り出た。
その後も”Lady Soul“、Live at The Fillmore Westなどのヒット・アルバムを送り出し、サザン・ソウル歌手としてはオーティス・レディングと人気を二分する存在となった。

1967年に、レディングが飛行機の墜落により死去したことがきっかけで飛行機恐怖症になり、海外公演を行わなくなった。(この影響により、バスで移動が出来ない北米以外の国では公演が行なわれていない。)
代表曲は「Chain Of Fools」(ドン・コヴェイ)、「(You Make Me Feel Like A) Natural Woman」(キャロル・キング)、「I Say A Little Prayer」(バート・バカラック)、「Bridge Over Troubled Water」(邦題:明日に架ける橋, サイモン&ガーファンクル)など。「Bridge Over Troubled Water」はゴスペルにアレンジされており、特に当時アパルトヘイトで苦しんだ南アフリカでヒットし、教会で賛美歌として歌われるようになる。
白人歌手の持ち歌のカヴァーも多いが、彼女が歌うと立派に“ソウルの名曲”となる。“単に男女の恋愛を描いた曲でも、アレサが歌うとまるで人類愛を歌っているように聞こえる”といった評価を受けている。
1972年に、ゴスペル・アルバム『Amazing Grace』を発表。
1970年代後半からヒットに恵まれない時期が続いたが、1980年代半ばに「Freeway of Love」、「愛のおとずれ/en:I Knew You Were Waiting (For Me)」(全米1位、ジョージ・マイケルとのデュエットで、作曲はクライミー・フィッシャーのサイモン・クライミー)などがヒット。かなりポップな曲調で賛否両論があるが、人気を復活させたプロデューサー、ナラダ・マイケル・ウォルデンの手腕は高く評価された。

2003年のアルバム『So Damn Happy』をもって引退を表明したが、それを撤回してライブなど精力的に活動している。 2009年のバラク・オバマ大統領の就任式において歌を披露した。
グラミー賞受賞回数は20回で、女性としては21回受賞のアリソン・クラウスに次ぐ記録である。 2005年には、大統領自由勲章を受章。 2009年1月20日、アメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマの就任式式典にて「My Country, ‘Tis of Thee」(“America”)を祝唱した。
アリスタ・レコードとの契約は2003年で終了した模様だが、2007年には過去のデュエット曲に新曲2曲を加えたコンピレーションアルバム『Jewels in the Clown』を発売。2008年には、書店チェーンのボーダーズ独占で、クリスマス・アルバム『This Christmas, Aretha』をリリースした。その後、自身のインディーズレーベルAretha Recordsを立ち上げ、2011年に『A Woman, Falling Out of Love』を発売した。